中国編(三)たった一人の日常
赴任当初は中国人に囲まれて生活していたので、日本人の友人もおらずアパートが決まるまでホテルと会社を行ったり来たりして過ごした。総経理(日本におけるゼネラルマネージャー、支店長のようなポジション)の陳さんは面倒見がよく、食 [続きを読む]
赴任当初は中国人に囲まれて生活していたので、日本人の友人もおらずアパートが決まるまでホテルと会社を行ったり来たりして過ごした。総経理(日本におけるゼネラルマネージャー、支店長のようなポジション)の陳さんは面倒見がよく、食 [続きを読む]
ベトナムから変更された行き先は中国の大連。ベトナムよりよほど発展しているし、空前の中国投資ブームのさなかだったので、駐在先としては珍しい所ではない。家族を帯同して行く場所としても悪くない。飛行機でわずか2時間。気軽に日本 [続きを読む]
家族には相談せず会社を辞めてしまったのでまたしても妻を困らせてしまったが、日常はそれどころではなく、大急ぎで転職と引っ越しの準備に入っていた。以前は海運を中心とした物流会社であるが、今度は新たな挑戦の意味も込めて航空系の [続きを読む]
株主総会に向けて戦線恐々としているО氏は疑心暗鬼になってさかんにコンタクトをかけてきた。2人だけで話したいという電話が何度も何度もかかってくる。О氏とベトナム人社長ヒエンとの間にどのような関係があったかは知らないがここま [続きを読む]
しかし、今回は分が悪かった。M海運はО氏が黒と判明したところで、断罪しないだろう。会社間の付き合いがあるし、サラリーマンがリスクをとってコンプライアンスの為に行動を起こすとは思えない。というか“この件に関してはうちはタッ [続きを読む]
H氏の離任の後、K社から代替副社長としてN氏が派遣された。N氏は既に定年を終え、都内に10億円相当のビルを2つ保有するという資産家で人当りのいい御仁。会社勤めは世間体の為だと公言できるほど人生におけるタスクは少なく、入り [続きを読む]
赴任当初は毎日半泣きで過ごしていたが、日常生活は快適そのものだった。まずはなんといっても現地の料理が日本人の口に合うものが多いというのは外国で暮らす上で大きい。ベトナム麺のフォーなどは日本でも有名だがベトナム料理は基本う [続きを読む]
僕自身の心理状態とは、無関係に現場ではもっと深刻な状況が起きていた。業務が突然増加した為に、サービスレベルが著しく低下しており、約束したはずのトラックが手配不備や、顧客と税関スタッフが結託して通関や配送を止めるような書類 [続きを読む]
初めて紹介されたベトナムのスタッフはみなフレンドリーに接してくれた。ベトナム戦争の影響で中高齢層の男性は少なく大部分の職員は20代と若い。僕も当時30歳になったばかりだったので溶け込み易かったのかも知れない。日本のように [続きを読む]
2005年10月、出産を1カ月に控えた妻を残し、2度目の片道キップで日本を出立した。 ベトナムは成田から飛行機で約6時間、1本のフライトで到着するやや遠いアジア。ご存知ベトナム戦争を経て共産主義政権が政治を支配している [続きを読む]