*世界のベンチマーク(自伝)中国編(ニ)ニーハオ!大連

ベトナムから変更された行き先は中国の大連。ベトナムよりよほど発展しているし、空前の中国投資ブームのさなかだったので、駐在先としては珍しい所ではない。家族を帯同して行く場所としても悪くない。飛行機でわずか2時間。気軽に日本とも行き来できる。気持ちの切り替えが済んでいた僕はあっさり了承した。会社内で決定されるモノゴトに関しては常に“何故”がつきまとう。その意味がわかるようになるのはもっと時間が経ってからの事だった。

当面のミッションとして課されたのは日系の顧客の獲得とコンプライアンス面における支店管理の見直しであった。中国の合弁会社は北京に本社を置くDNJ(仮称)社。日本側30%中国側70%のマイナー出資。日本航空より出向してきたI氏がJPTを代表して副社長として派遣されていたが、経営に関してはほぼ中国側が担っていた。I氏は北京に常駐するので、僕は実質一人駐在という事になる。そして直属の上司は中国人。そのような状況下でコンプライアンスの見直しとは何を意味するのだろう?会社は営業成績以上に僕が過去に遭遇してきた問題の数々を知っているのだろうか?多くの腑に落ちない点はあったが、新天地への期待と家族と暮らせる喜びの中でそれらの疑問にはベールが降ろされた。

 仕事面では不本意な成田における研修であったが、いい出会いもあった。現在はKNOCK OUTを始めとして様々な立ち技格闘技の名レフェリーとして活躍されているKさんは当時シュートボクシング佐倉というサークルを主催されており、わずか1ケ月であったがそこに通う中で非常に懇意にして頂き今でも関係が続いている。Kさんの紹介で知り合った自衛隊徒手格闘師範のS方先生とは現在、防犯関係のお仕事の方面でお世話になっている。自分がツイてないと感じている時期は出会いに助けられている。そういう時は当たり前と思っていたものの価値に気づき謙虚になるから、目の前の人にありのままを晒す事ができるのかも知れない。まあ、またすぐ調子に乗っちゃうんだけど。

慌ただしい日々は瞬く間に過ぎ去り、新しい会社になれる間もなく、近くて遠い国、中国への旅立ちの日を迎えた。大連は中国の遼寧省に位置し、日中戦争後は日本の総督府が置かれた場所で、歴史的にも日本との関わりが深い。日本語を話す中国人の数も他の中国の都市に比べて圧倒的に多く、親日的である。時代は既に中国ブームを迎えていたが、中国語など全く話せない僕はあまり興味がなかった。赴任前に英語が話せれば問題ないと聞いていたのでベトナムと同じく英語でコミュニケーションが取れるものとタカをくくり意気揚々と赴任した。ところが着いてみれば全く状況は違った。合弁という事もあり、事務所では僕以外は全員中国人で、英語を話せるスタッフはたった一人。彼女の英語もクセが強く最初は何を言っているのか理解が難しかったが少しづつ意思疎通は取れてきていた。しかしある事件が僕の意識を一変させた。

日本から来た取り扱い貨物の一つが通関検査の対象になり空港で止まってしまった。現場に向かい、その場にいた部下の一人に「Open the box(箱を開けてくれ)」とお願いしたが全く理解しない。通訳がいなければこんな簡単な意思疎通さえできない。ダメだこりゃ。仕事にならない。

中国語の習得は急務になった。日本人も英語が得意だとはとても言えないが、少なくとも紙に書けば中高6年勉強しているのだから簡単なものはある程度理解できるだろう。だが、中国では基本何を書くのも漢字だし、ツールとかたしなみとしての英語もほとんど必要としない。「中華」思想というのか他の国々のようにアメリカに対する強烈な羨望は感じないし、堂々として譲らない気風がある。日本に在住している西洋諸国の人々があまり日本語を習得しないのに対して中国にいる同地の人々は中国語を積極的に学んでいるのはそういった背景もあるかも知れない。

やれやれまたゼロからの出発。言語もこれからだし、オフィスに日本人の仲間もいなければ客先もこれから開拓という前代未聞の状況からのスタート。ツいてるね♪。ノッてるね♬