*世界のベンチマーク(自伝)ベトナム編(七)離脱

しかし、今回は分が悪かった。M海運はО氏が黒と判明したところで、断罪しないだろう。会社間の付き合いがあるし、サラリーマンがリスクをとってコンプライアンスの為に行動を起こすとは思えない。というか“この件に関してはうちはタッチしませんよ”という遠回しなメッセージは態度や反応から判断できた。それが担当上司である東京支店長のものなのか会社としての決定なのかは定かではないが。しかし他の株主で任侠団体から派生したK組などはメンツにおいて事態を看過しない可能性があるので上司とО氏は情報の取り扱いに対して極めて敏感になっていた。

一方でこの時期、Sさんから会社の電話が盗聴されているかも知れないから気をつけろとあったので念の為、借りた発見機を当ててみると反応する。やはり共産国は侮れない。会社用とは別の携帯電話を購入し、会話を使い分けた。ベトナム人社長はじめ、仕事の要職を占める社員は共産党員として別の顔も持つ。

政治を利用し利用される事で栄達を果たす構図は共産主義国家でより鮮明に現れる。日本も何かの社会インフラが充実する前段階では癒着と談合と根回しで成り立っており、暗黙のルールとして国民が見てないフリをするか、沈黙の承認を与えている限りこれと大差ない。

当時の僕の頭の中は敵を打ち倒す事ではなく、家族への約束を果たす事が最優先だった。グアテマラ時代と違い守るものがあったから。と同時に大企業に守られてきた自分から見て、株主から頼まれた訳でもないのに全て自分のリスクでベトナムまでやってきて顧客をサポートするSさんとSさんを送り出したCシッピングの在り方は今の自分の立ち位置に大きな疑問を投げかけていた。このまま静かにしてれば物事は大過なく過ぎていくだろう。仮にVJCに大きなスキャンダルが発覚したとしても、善意の第3者をよそおう事は難しくない。じゃグアテマラのあの日々は何だったんだ?俺はこのままで自分の生徒や師匠や親父を前にしてやり切ったと言えるのか?クサイものに蓋をせず、文句も言わず、ただ解決をもって自らの言葉とする。家族も守る。果たしてそんな事ができるのか?でも黙ってここにいたら試す事もできない。

当時、ベトナムにはJPT(仮称)という新進気鋭の航空物流会社があった。日本航空の子会社でありながら、本社を香港に置き、日本を出た飛行機の帰り便のスペースを埋める為に外国発の貨物を積極的に獲得している物流ベンチャーである。日本航空自体に物流のオペレーションができる人材はいなかったので各物流会社から人材を引き抜いて、積極的に世界各地に店舗を展開している段階だった。

僕のうわさは届いていたらしく、話は驚くほど早く決まった。ハノイに家族を呼び寄せる。納得するまでベトナムで仕事をやりつくす。

M海運は自分のベースを作ってくれた会社。当然恩義を感じている。いわゆる一般的な日本の会社として何も例に外れた行為などなかった。僕にもっと周りを巻き込む能力や根気があれば状況も違っていただろう。色んな理由を語る事はできるが詰まるところ自己中心的な考えはやっぱり変えられず「泣き寝入りしたくない」という反骨心が決断を促した。