*世界のベンチマーク(自伝)ベトナム編(四)問題あるところに光あり

僕自身の心理状態とは、無関係に現場ではもっと深刻な状況が起きていた。業務が突然増加した為に、サービスレベルが著しく低下しており、約束したはずのトラックが手配不備や、顧客と税関スタッフが結託して通関や配送を止めるような書類不備を自作自演し、税関への相談料と称して私腹を肥やすといった事態が起きて客離れが起きつつあった。

業務の増大化による応援要請という案件の内実は、多発していたクレームの処理であった。ハイフォン野村工業団地の入居企業は中小が多いが日本側の取り扱いは筆頭株主である商社Kの物流子会社であるCシッピング社が主なシェアを占めていた。Cシッピングとしては当然、自社系列のH氏に野村工業団地の顧客のケアを要請したが、H氏は自身の手柄になりやすい大手の案件に執心しこれを放置。業務のねじれ状態が発生していた。仕方なくC社から手弁当で営業課長Sさんが長期出張してベトナムで現地サポートを行っていた。彼との出会いがベトナムでの仕事。その後の僕の人生において大きな転機となる。

ベトナム現地での状況については毎月のレポートで本社に報告していたが、実績のない若者が文句をいうだけでは誰も耳を貸さないのはどこの世界でも同じで、ましては僕の場合はH氏との関係が悪化している中での私怨が入った報告である。会社としてはアクションを起こせる段階ではなかった。一方で僕は赴任から2カ月目にして、精神的にも限界にきていた。妻と生まれたばかりの子供を置いてまで国を出たのにくだらない事で足をすくわれ身動きが取れない。グアテマラであんなに苦労したにも関わらず、慣れない事に対する弱さは一向に成長していなかった。

事務所で時々見かけるSさんとは最初、挨拶を交わす程度の関係だったが、連日個室に閉じ籠り塞ぎ込んでいた僕が気にかかったのかある日食事に誘ってくれた。聞けばSさんのお父上も空手家で首相をやっていた政治家のボディガードをやっていた事もあるという。不思議な縁だがほぼ直感でこの人についていけば道は開かれると感じた僕は上司でも何でもないSさんにお願いして現場についていき、仕事のやり方を覚え始めた。スタッフとの会話、客との話し方。ただ横に座って聞いていただけだがとても勉強になった。

あいも変わらず上司のH氏からは嫌がらせを受ける日々であったが、Sさんはいつも

「絶対に殴るな。相手が理不尽でも自分自身の為に手をあげれば拳が汚れる」

 と諭してくれていた。本当に感謝している。もう一つ貰った大きなアドバイスは

 「スタッフと話す事。彼らから実態を聞かなれば問題の本質はわからない」
 
というあたり前の事実。僕はすぐ会社に申し出て個室を手放し、部下たちの隣に席を移して一人一人と会話して問題の洗い出しを行った。出勤の手段を確保するに当たっては、スタッフの一人から中古のホンダスーパーカブの中国製偽物 HONGDAを購入。もちろん、特別割り増し価格で。50ドルで即席の免許証も手に入れた。

 そして野村工業団地のお客さんを一つ一つ周り、サービスの不満点、問題などの聞き込みを行った。すぐには解決できない事もあったが、話を聞きに行くだけでも感謝された。外国で仕事をする不便はみんな同じで、似たような状況はどの会社でも起きていたので丁寧に説明をし、改善策を検討・実行するだけで信頼は回復していった。気がつけば一人ではなくなっていた。

そして、野村工業団地の入居企業の一つで半導体装置メーカーの大手R社の副社長にしてベトナム現法の代表N社長が、M海運に掛け合い僕の処遇に対し陳情に行ってくれたという話を人づてに聞いた。

 名のある会社の役員であり、顧客側からのアプローチであった事から本社もこれを無視できなくなり、事態は動きを見せる。突然H氏の帰任が決定した。赴任してわずか4カ月目の事であった。グアテマラの時と同じく期せずして、自分の上司を追いやるハメになってしまった。