*世界のベンチマーク(自伝)ベトナム編(六)戦乱再び

H氏の離任の後、K社から代替副社長としてN氏が派遣された。N氏は既に定年を終え、都内に10億円相当のビルを2つ保有するという資産家で人当りのいい御仁。会社勤めは世間体の為だと公言できるほど人生におけるタスクは少なく、入り乱れるベトナムの現場の課題の解決を慣行するにはその理由もモチベーションもなかった。

そんなわけで僕は相変わらず野村工業団地の御用聞きとして、入居企業の社長さんに可愛がっていただき忙しい毎日を送っていた。その一方で家庭の問題が浮上しつつあった。身重の妻を残してきた際に必ず、落ち着いたら一緒に暮らせる環境を整えると宣言したのに、目前の状況から手が離せない。

ハイフォンには日本人向けの病院などなかったので赤ちゃんが急病になった場合は2時間半かけてハノイまで出向く必要がある。もしもの事があってはいけないので無理やりハイフォンに住む事はできない。前副社長のH氏は家族と共にハノイに居住していたので、僕も同じようにハノイに居を構え仕事を継続するつもりであった。だが一向に業務のねじれ構造は改善されずこのままでは家族との約束を果たせない。M海運の顧客はハノイ周辺に集中しており、理屈からいえば僕がハノイを拠点に活動するのは何の問題もない。

本社に事情を話したが、合弁会社という手前もありなかなか一社の独断で判断ができないという。ではK社の場合はどうなのだ、と問いただすと、彼らは商社で我々は物流会社だ、との返答。納得できない。H氏を殴り倒していればよかったのか。平行線は続いた。

ちょうどその時、2年に一度の株主会議を前にある問題提起が波紋を呼んでいた。取扱いの売り上げに対して利益率が低い。費用が想定範囲より高いのだ。VJCは当時42台のトラックシャーシを保有しており、北ベトナムでは屈指の規模で連日ホンダベトナム向けの貨物輸送をしていた。しかし自社ヤードには運休しているトラックが多く、外注の割合が高い。外注先を調べてみるとベトナム人社長の弟が保有している会社である。あとは想像に難くない。

しかし、なぜかこの問題を議題としてあげない旨を強行に主張した人物がいた。H氏とN氏の任命派遣を決めたK社の運輸部部長О氏。着任したばかりの僕のレポートを妄想だと断定し一笑に付したが、R社のN社長のM海運への陳情があった時点で情報が他の株主に届く前にいち早くH氏の帰任を決定し事態の収拾を図った男。

グアテマラを含めた様々な経験で僕の勘は冴えていた。またやってきちゃったよ。トラブルが。