*世界のベンチマーク(自伝)ベトナム編(三)人間関係の壁

初めて紹介されたベトナムのスタッフはみなフレンドリーに接してくれた。ベトナム戦争の影響で中高齢層の男性は少なく大部分の職員は20代と若い。僕も当時30歳になったばかりだったので溶け込み易かったのかも知れない。日本のように事務所に重苦しい雰囲気はなく笑顔が絶えない。かといってエネルギッシュという訳でもなく、少し怠惰な雰囲気の中で必要最低限の業務を進めているような印象。彼らは決してネガティブな表情やアクションを人前で表す事はない。後々わかる事だが、悲惨な歴史をくぐり抜けた東南アジアの人々は人生の距離感がよくわかっており、もめ事を回避したり、本心を隠す為に、怠惰なフリをしたり、作り笑顔をするのが上手い。日本的な価値観でそれらをズルいと断定はできない。貧困や共産主義という自分ではどうしようもならない課題を目の前にして導き出されたスキルが血の中に宿っているのだ。

 やっと海外に出られたと着任そうそうはりきっていた僕だが、思わぬトラブルに遭遇する。ありきたりな話だが、上司との人間関係である。お互いの細かい相違点を挙げればキリがないが、簡単にいえば求めている関係性が違ったというところだろうか。

 VJC副社長を務めるH氏は慶応のラグビー部出身で、世間一般でいうところの体育会系と呼ばれる人種で理不尽でも何でも上の言う事は絶対という世界観の持ち主。

 僕は空手畑なので体育会というふうに思われ勝ちだが、個人競技の世界の住人である。仲間や先輩は練習のサポートをしてくれる存在だが、勝敗を共にする存在ではない。選択も結果も全て自己責任。加えてグアテマラでの経験もあり、へし折るには長すぎる天狗の鼻を持ち合わせていた。

 仕事面でいえば、期待された能力を僕が有していなかった事も関係している。M海運は名古屋でも大手と呼ばれているだけあって、一見の客の貨物は扱わない。大手顧客の貨物を大容量で取り扱うのが基本的なやり方で、いわゆる新規開拓という分野はあまり強くなかった。そこで育てられた僕は、決められた仕事をいかに効率よく誠実にこなすかという公務員的な技能しか持ち合わせていなかった。海外で次々と起こる予測不可能な問題に対処するには明らかに実力不足だった。

 能力もないのに、上司を敬わない。苦労して当然であるが、当初は出勤さえままならなかった。通勤は同じアパートに住む上司と乗り合いで5kmほど離れた事務所に向かうのだが、嫌われてしまっているので上司が一人で会社に向かってしまう。しまいには電話やSMSも受け取ってもらえなくなり会社に行けない日もあった。そこで仕方なく、Xe Om(セオム)と呼ばれるバイクのピックアップタクシーを使う。雨の日はつかまらない事もあったが毎日バイクの運転手と交渉を行い事務所に向かう。当時の肩書はセールスマネージャー(営業部長)で個室を与えられていたが毎日何をやればいいのかわからず、よく日本の友人に電話したり、ネットサーフィンしたりして無為な時間を過ごしていた。着任一カ月で体重は7キロも減っていた。