*世界のベンチマーク(自伝)グアテマラ編(九)覚悟

先生の気力がなくなれば弟子に影響するのは当然の事で、協会への抗議活動も勢いを失いつつあった。毎日の報告会は緊張を失い、日本から持ち込んだ当時最新のゲーム機プレイステーションで夜な夜な対戦ゲームをしては解散するようになり、真面目な生徒の何人かは顔も出さなくなった。最後にはカルロスだけになり、2人で遊んでは町を徘徊していた。僕がおごるマクドナルドが彼の収入ではご馳走だったらしく喜んでいたが、やはりどこかさみしそうな表情をしていた。解雇から半年ほどたったころ、時間を持て余した僕は退屈しのぎに弟子たちの自主練習を見に行ってみることにした。

生徒たちが頑張っている姿を見るとやはりアドバイスしたくなってくる。いてもたってもいられなくなり着替えを開始しようとしたその時、僕を解雇した張本人ドゥボンが道場を巡回視察に訪れた。僕はとっさに用具ロッカーの裏に身を隠した。ところが、生徒たちは束になって道場の入り口を封鎖している。僕はこの時の彼らの言葉を生涯忘れる事ができない。

「なにを隠れる必要あるんだ。ここは先生の道場じゃないか。もしドゥボンが何か言ってきたら俺たちがやっつけてやる」

たとえようのない羞恥が自分を覆った。普段は武道とは何かを偉そうに語り、師匠の言葉の受け売りで得意な気分になっていた自分が、守るべき立場の弟子を置き去りにして身を隠したのとは対照的に、彼らは何もかえりみず、失う事を恐れず一歩前に出た。どんなに技術があろうが、実績が素晴らしかろうが本来の目的の為に使えなければそれは会得したとは言えない。僕はその時、自身の教え子たちから武道の本質を教えてもらった気がした。

そもそも僕が協力隊に参加した目的は何だったのだろう?貧しい人たちを助ける事でもなければ、グアテマラ空手の発展に寄与する事でもなければ、ましてはJICAの為でもない。自分を変える為だ。優先順位を間違えるべきではない。

次の日から、解雇された身でありながら再び協会道場で指導を開始した。警察学校にも今のシーズンが終わったら辞める旨を伝えた。もっと問題が大きくなるかも知れないが、もうすでに恨まれている身だ。もし殺されるとしても空手家として死にたい。弟子たちに顔向けできないような生き方はしたくない。全てをぶつける覚悟だったので自然と稽古は厳しくなり、脱落する者も現れたが大多数はついてきてくれた。

もはやハポネス(日本人)のノダが閉鎖されたはずのクラスを再開し指導を行っている事は公然の事実となった。かといって、ラテンのノリなのか特別注意を受ける事もなく、野放しにされていたので認められたものだと勘違いし指導を続けていた。ドゥボンも顔を合わせれば挨拶してくれるようになった。全てが元通りになったような気でいた。

レッスンを終えたある日、たまたま居合わせたドゥボンが家に送ってくれるという。何度頭を打っても学ばない僕はまたミスを犯してしまう。車中には、ドゥボンとその運転手、僕の3人がいて、僕は助手席、ドゥボンは後部座席に座っていた。信号まちの間、運転手に話しかけられた

「セニョール(ミスターと同じ意味)ノダは空手で人を殺した事があるか?」

「もちろん、ないよ。そんな目的の為には使わない」

「そうか、でも俺はお前を3秒で殺せるぞ」

腰のホルスターから銃が引き抜かれこちらに向けられる。その瞬間、時間が静止した。不思議なもので「あ、これ死ぬな」と感じる時はびっくりするぐらいそれを冷静に受け止める自分が現れる。死ぬ事が避けられないと脳が判断すれば少しでも苦痛を減らす為に本能的に動揺がなくなり感覚が麻痺するのかも知れない。

この時はなんとか威嚇ですんだがさすがにマズイと思い、実家の父親に国際電話をかけて帰る旨を伝えた。幼少期からの僕を知っている父はいつもの泣き言と思ったのか
「帰ってきたら、俺が殺してやる」とだけ言い、電話を切った。
帰国後、この事を本人に話したら全く記憶がなく「なんで帰ってこなかったんだ」聞き返されてしまい、苦笑するしかなかったが。

 ともあれ、協力隊の任期は2年と決まっていたので、その日まで生き残る事が当面の課題となった。カレンダーに×印をつけ、あと何日という風に受刑者さながら帰国日を数え始めた。JICA事務所に相談したらさすがに何かあってはマズイと考えてくれたのかタクシーでの通勤と費用負担を許可してくれた。潜在的な危険は変わらないが、非公認の形のまま指導を続けた。道を歩く時も常に周りに注意するようになったし、いつでも走って逃げられるようにカバンに重たい物や貴重品は入れず、財布も持つ事はやめ紙幣をポケット入れるクセもついた。毎日その日生き延びたという感謝を一日の終わりに夜空に伝えた。ありきたりな食事もとても美味しく感じた。全ての行動に実感が伴った。