グアテマラ編(四)いざ参る!

 訓練所での語学研修を終え、1997年7月末生まれて初めて飛行機に乗り、中米グアテマラの地に降り立った。

グアテマラはメキシコの南に位置する中米の一国で中米内ではパナマ、コスタリカに次ぐ経済規模を持つ。マヤ文明の大都市ティカルを擁し中南米には珍しく原住民のインディヘナの人口比率が40%と周辺諸国に比べて高い。

キューバ革命の英雄チェ・ゲバラが革命の拠点とした国としても知られ、かつてはリベラルかつ社会主義的な政治背景を持っていた。しかし、急進的な社会主義政策は1960年、当時グアテマラで大規模プランテーションを運営していたアメリカのユナイテッドフルーツ社の農園の国有化をきっかけに内戦を誘発。冷戦の影響で紛争は長期化し1996年の和平協定までなんと36年もの間、戦争状態にあった。

これにより国内経済は疲弊、治安の悪化と貧富の拡大は大きな社会問題となっていた・・・というような前情報なので内心ビクビクしつつやってきたのだが、意外にも都心にはショッピングモールやビル群、ファーストフード店が立ち並び、想像よりもはるかに発展している。

一方で道路の路面はガタガタで行き交う車もボロボロなものが多い。特にバスは清潔とは言えずペンキでボディに手描きの模様や行き先が描かれておりまるでブリキのおもちゃのようだ。決まったバス亭などなく、低速で進んでいる間に次々に人々が小走りに乗り込んでいる。この先これで通勤するのかと思うと憂鬱な気分になった。

なかでも強く印象に残ったのは町のいたるところにチューインガムやたばこを売るキオスクのような売店があるのだが、どの店も刑務所のように店主と客の間を隔てる鉄格子が立っており、ショットガンを持った警備員がいる店舗もある。見方を変えれば、キオスク程度の売上でもそれを襲う強盗がいて、店の方でも警備費の範囲内で銃をもったガードマンを雇える。つまり、人間の命がそれだけ安いという事だろう。

当時の僕はバックパッカーとかヒッピーみたいなタイプの人間を理解できず、なぜわざわざ発展途上の国々を巡ったり、不衛生な場所や危険な経験を好むのか不思議でたまらなかった。留学代わりに協力隊に参加しているという感覚でいたので一刻も早く華々しい成果を上げてこんな汚い国からはさっさとオサラバして世界をまたにかける男になろうとはりきっていた。この後に人生観を変えるような衝撃的な出来事が起こる事も知らずに。