世界のベンチマーク(自伝)帰国編(三)トレードオフ

筆記試験・一次面接とも難なく通貨した。応募した先は商社としては有名ではないが、医薬品のメーカーとしては名が通っているKという会社だった。次の面接でインドプロジェクトの事業を管轄している役員が直接話をしたいという。これまでお偉いさんとのやり取りで失敗ばかりしている自分だったので取り繕っても仕方ないという気持ちで会場に臨んだ。

会場に現れたのは口髭を蓄えた60過ぎのダンディな男性で見るからに海千山千を乗り越えた御仁とわかる風貌だった。おおよその経歴は書面で提出していたからか、志望動機とか入社後してみたい事などお約束的な会話はなく、唐突に大連駐在時代に不正していた上司を解雇して支店を立て直した時の話を中国語で質問された。僕は少し驚いたものの、証拠は赴任して間もなく既におさえていた事や、問題を中国人VS日本人から中国人VS中国人に導いていった経緯などを話した。実はこういった無茶ぶりは大歓迎だ。1つのエピソードを語るだけで、他に説明しなければいかない多くの話を省略できるし、企業側から見ても用意された答えだけを聞いても本当のところはわからないと思う。だが、今回は稀なケースで多くの日本人にとって、相手の実力を測る事よりも、自分が出し抜かれない安心感を優先する場合が多い。その人間を利用していかに利益を作るかよりも、体制に背かない人間を箱庭の中で育てて、徹底的に支配しようとする。先輩と後輩、上司と部下、先生と生徒、年功序列など儒教ベースの考え方で社会の安定を図りたがるが、オリジナルの中国の方が実際はかなりリベラルだったりする。女性や若手の経営者も多いし、その手段も多岐に渡る。じじいの飲み会に付き合わずともやる奴はやる。

なにはともあれ、自分らしさ全開の面接は運よく進み、帰国後わずか8カ月で転職する運びになった。短い間だったが、人生を見返すのにとても有意義な時間になった。というのも、親会社から派遣されてくる上司たちはあっという間にリストラの対象になり、会社を離れていく。その中で最初は僕と揉めていたような人間でも、転職や独立を模索する中で共同経営を持ちかけてきたり、転職の案内を頼んできたりしてくる。要は人間の好き嫌いなどに意味などない事がよく分かる。本当はある状況下においてその人物が自分にとって都合が良いか悪いかしかなく、そこに感情を添わせているだけでその主張に根拠も一貫性もない。それが良い悪いという事ではなく、そのようにしか振舞えないのが人間だしそれを許して自分も前に進まなければいけない。

内定の受諾と前後して、かつてベトナムで返しきれない恩を与えてくれたCシッピングの役員のHさんが独立する事になった。光栄にも一緒に経営しないかという打診をしてくれた。Hさんの実力は折り紙つきだったし信頼もある。いつか独立したいという夢もあったので悩みに悩んだ。最後は妻のひと言で結論が出た。「今はすみれ(娘)が生まれたばかりだから、3年くらいすれば色々手伝えると思うから、まずは生活を安定させて欲しい」

名古屋で大手の物流会社からベンチャー系の物流会社へ、そして再び大手の会社のレールに乗るというイレギュラーな道を歩む事になった。年齢は既に36歳。中堅の中途採用など全くしていなかったような老舗の企業で自分の生き様が問われる。勤務地は名古屋になった。大学卒業以来、13年ぶりにかつての地で全く新しい挑戦が始まった。