帰路編 (四)おっさんず自分さがし

さてさて、ひとり立ちする!とは言ったものの何を始めればいいのか皆目見当がつかない。どんな仕事でもできるかできないかと問われればたいていの事はできる自信はある。これまで未知の場所で未経験の事ばかりしてきた。一方でどうしてもやりたい事があるかと聞かれればこちらも返答に困る。いつも自分のやる気に火をつけてきたのは、反骨心やサバイバル本能などどちらかというとダークな感情で世の成功者たちが口にするようなキラキラした情念ではない。「しょーがねーな」と愚痴ってるときのほうが冷静で能力も高い。今回も会社と個人の関係というものを冷静に見つめなおした結果、導き出した結論だ。

 これから社会に対して自分の看板を掲げて周囲を巻き込む事を考え始めた時、思いもよらなかった壁に直面した。そう、僕はまだ、ホラ吹きとしてはまだまだ白帯だったのだ。自営するという事は自分のエゴの上に他人のエゴを上乗せしてただ突き進む事という事だ。途中で脱落する者や都合の悪い出来事に足踏みしてはならない。

 俗に成功者と呼ばれる人たちで自分が関わった事があるのは、空手時代にお世話になった門下生2万5千名を誇る流派の宗家であったり、時価総額2兆円を超える巨大財閥を築いたインドのパートナー財閥の会長であったりするのだが、彼らが偉人伝で伝えられるような人格者であるかといえばそうではないし、はたまた悪人かと聞かれればそれも違う。はっきり言えるのは「善人」であれ「悪人」であれ自分あるいは自分の支配する団体の方針や目的においてその役が求められるのであれば躊躇なく選ぶであろうという事だけだ。そこに自我はなく、機能だけがある。

 どこまでいっても甘ちゃんの僕は機能だけで存在できるように自分の棚卸しをする必要があった。とりあえず、自分ができる事、やりたい事、社会的に需要がありそうな事の3つに分けてノートに書きだしてみる。どれもピントがいまいち合わない。自分の本当にしたい事ってなんだろう?人生を振り返って年表を作ってみたり、付け焼刃で瞑想してみたり、コンプレックスに焦点を当ててみたりしてみたがコレ!というものには出会わなかった。

 でも心のどこかではわかっているのだ。結局、人間は勝ち目という枠の中でわがままの最大化を目指す。それは他人には見えなくても、打算と経験値の蓄積から本人の中にはしっかり根付いている。「夢」という言葉を道具として使えなければ敗北者への道を進む事になる。

 それまでの42年の人生において若者と接し、体験を共有する事でキャリアを築いてきたという実感のある僕はいつしか教育を志すようになっていた。だが同時にそれは具体性を伴わない幻のようなもので、伝えたい事を言語化したり、システム化する事でとたんに陳腐化してしまう。「人間を見る」という事、「人間を許す」という事、そして「人間として生きる」という事をどのように伝えたら良いのだろう? 偉そうぶるなよ、和哉。「許す」んだろう?打算も矛盾も使いこなせないのに何ができるってんだ。

 客の前に自分を騙す事にした。これまでの経験で現金化しやすいものは、国際経験と貿易の知識そして五ヵ国語を話せる語学力。マーケット分析とかご託を並べる前に売れるものは全部売っちまおう。その上で「教育」ってものをもう一度考え直してみる。学校がないといけないのか。本当に子どもだけが対象か?これまでお客さんに感謝された事って何だったんだろう? 定義なんてできないけど確実にパターンはあった。
「ありがとう」という言葉をもらった時の僕は身に憶えがない事が多い。何かをしてあげたなんて実感もなく、意図もない。だから再現もできない。でもきっとそれが僕という人間の本質の一部なのかも知れない。自分の思考の幅で自分を定義するのは困難だ。見たくないものを見ないし、体験によってしか出現しない人格もあると思うから。

ただ自分の目の前に発生してしまっている事象こそが自分の一部であると考えると予測もし易くなる。どんなに反省しても犯罪を繰り返す人もいれば、悪意しかないのに、結果的に他人の役に立っている人もいる。無意識に繰り返してしまっている行動こそが人生における役割なのかも知れない。

思い返せばハチャメチャな事ばかり乗り越えてきたが、半分は自分が呼び込んでいるし、半分は誰かが持ち込んでくる。仲良くなる時も揉める時も、○○だからと理由をつけたがるが、その人間関係における意識されない目的「協力」とか「闘争」に向かって行動を繰り返しているようにしか思えない時がある。

だから余分な意図を省いて、ただ貿易やって金もうけしてれば、その中に自分の「教育」は発生していくんだ。自分という人間の肩書は行動の中に宿る。意識しようが意識しまいが。
こうして僕は貿易のコンサルタントという自分でもいまいちピンとこない仕事を生業とする事に決めた。誰かに語れるようなかっこいい理念もミッションもない。だけど確実にそこに想いはあって、自分は歩き続けるだろう。「貿易」や「国際交流」を通じて「教育」に向かっていく。意味がわからない。けど、文句あるか?

説明なんてしなくていい場所に行けばいい。それがグアテマラで救えきれなかった命や、ベトナムで倒しきれなかった権力や、中国で理解しきれなかった慣習や、インドで感じたカーストへの無力感に報いる事になると信じている。気がつけば、たった一人でインドの支店を管理しながら転職を模索して一年が経とうとしていた。
そろそろ、人生の仕上げにかかる時期だ。年齢的に無理が利く時間もそう多くない。2018年7月。会社に退職を告げた。