*世界のベンチマーク(自伝)グアテマラ編(三)訓練所での日々

 無事、実技試験も通過し晴れて青年海外協力隊平成9年度1次隊(協力隊は年度毎に3度派遣が行われ、それぞれ9-1、9-2, 9-3隊と呼称される)になった僕は赴任前の語学研修として、長野県駒ケ根市にある訓練所において半軟禁状態で毎日6~8時間スペイン語を学習するという苛酷なプログラムに忙殺されていた。

朝6時に起床してランニングに始まり、食事から授業、床につくまで全てが管理された生活で2段ベッドが置かれた部屋に2人で生活する。買い物は休み時間に訓練所に隣接しているドライブインに行くか、週末のみ外出を許される。さながら軍隊のようであったが、空手時代の合宿経験などで慣れていたのかこれといってストレスを抱えず時間を過ごせた。環境に合わせた順応性は性の処理でも発揮され、後にも先にもヤンマガのグラビアで抜けた唯一の時期だった。

実地経験が必要になる条件が多い為、仕事を辞めて参加する隊員も多く平均年齢は30歳前後だった。最年少で唯一の現役学生だった僕は世間知らずのままで、同隊次というだけで10歳近い年齢差の仲間たちと同様のモノの見方や価値観を持っていると勘違いをしていた。結婚している人もいれば40近い人もいて息子のような年齢の学生がイキがっている姿はさぞ滑稽だったと思う。

わずか1カ月半であったが管理された環境下で寝食を共にするという行為は時間を濃密にする効果があるようで、隣国ホンジュラスの柔道隊員で国際武道大学を卒業したばかりのH君は生涯を通しての親友の一人となった。彼の父が僕の父と同じく外洋船の船長をやっていたのも影響があったかも知れないが、僕らはすぐに意気投合し、毎日出歩くようになった。背は160cmくらいで小さいが全身が筋肉に覆われてがっちりしており、目がくりくりして可愛い顔つきの上にスキンヘッドと無精ひげがのっているその風貌はまるでテディベアの体に頭の部分だけだるまさんに取り換えたようで初めて見たときのインパクトは今でも忘れない。寝技の鬼、柏崎先生の弟子だけあって、技術もしっかりしており楽々バク転をこなすなど運動神経も抜群。彼との交流で空手に足りないものを客観的に知る事ができてその後、僕が総合格闘技に進むきっかけにもなった。余談だが総合格闘家として有名な小見川選手は僕と同い歳で彼の一つ下の後輩であり、当時何かとクレイジーだった僕を「小見川のようだ」と述べていたのを覚えている。まさか、その後、小見川選手が総合格闘家としてTVで活躍したりするほど有名になるとは夢にも思わなかったが。