*世界のベンチマーク(自伝)グアテマラ編 (一)旅立ち

こんにちは!

僕がどうしてこの仕事を選ぼうと思ったのか、自分を説明するのがあまり上手くないのでストーリー形式でご案内しようと思います。ひまつぶしに見ていただければ幸いです。

世界のベンチマーク  野田和哉

 
 僕が生まれる前、我が家は小型のサルを飼っていた。外洋貨物船の船長をやっていた父がインドネシアから持ち込んだそうだ。父は結婚時には既に家庭の事情で船員を引退していたが、自分が海の男であるという自負は強く、幼い僕によく外国や船の上での出来事を話してくれた。それはまるでおとぎ話のようにワクワクとドキドキで僕の胸を一杯にしてひそかに人生の行き先を決めてしまった。その時に感じた、高揚感や不安の本当の意味を十数年後に身をもって学ぶ事になり、今も尚たくさんの迷いの中でその答えを捜している。

グアテマラ編
 (一)旅立ち

1997年、大学3年が終わろうとしていた。三重の田舎を出る為だけに大学進学を希望し、なんとか名古屋の名門私立南山大学に入学した僕は自分でも驚くほどの環境不適応を発症し、周りに馴染めない事を街や同級生のせいにして自堕落な生活を送っていた。バイトも続かず、幼い頃から続けていた空手も入部当初からいざこざを起こし辞めてしまい、なんとか総合格闘技サークルに入りキックボクシングの真似事を始めたものの一向に熱意が沸かず目標のない日々を過ごしていた。中途半端な自分をごまかす為に付き合っていた彼女に八つ当たりしたり、自分を特別な人間だと思い込む事でなんとか自尊心を保っていた。イタすぎる中2病ならぬ大2病の末期状態に陥っていた。

一方で抜き差しならない状況が近づきつつあった・・・就職活動である。空白の3年間をすごした自分には自信といえるものは何もなく、事実や経験に裏付けされてない強がりなどどこにも通用しない事を痛いほど自覚していた僕は強気な言動とは裏腹に来たるべき審判の日に怯え続けていた。

ある日いつものように地元が同じで一緒に名古屋に出てきた別の大学に通う幼馴染のアパートでヒマを潰している時に「なあ、留学行きたない?」という話題になった。2人とも実家の経済状態で留学費用など出るべくもないのは百も承知だが、それ以上にこのままではいけないという焦りがなんとか光明を見出そうと口をついて出た無意味な言葉のはずだった。その時、ふいに頭に電光が走り抜けた。昔、父が青年海外協力隊の面接を受けに行き、祖母の大反対を受けて断念したという話が記憶の中に甦った。お金はいらない。先進国じゃないけど向こうでの生活は国が面倒を見てくれる。ハクがつく。悪い話じゃない。

ボランティア活動なので一般の人たちには井戸を掘ったり、教育のない地域に学校を作ったりするイメージがあるかも知れないが、過去の父との会話から誰でも行けるという訳ではなく、何かの特技を持って応募し選考で選ばれなければいけないという事は知っていた。幸い僕には3歳より空手をやっている経験があり、一応、インターハイや国体には出場経験があるのでもしこの分野で募集があるならなんとか使えるかも知れないという淡い期待が胸にあった。特技という点で同室の友人に下手な遠慮をしてしまい、その場で協力隊への挑戦は言い出せなかったが、現実逃避と挑戦がごちゃまぜになった複雑な感情を胸に、大学入学以来、初めて目標を持って行動を起こす事になった。