*世界のベンチマーク(自伝)ベトナム編  (一)外れたレール

グアテマラから帰国した僕は、3年遅れで無事大学を卒業し、2001年名古屋の物流大手M海運に入社。時代は就職氷河期に突入していて、50社以上の不合格通知を経てやっとの想いでケーブルテレビ会社の内定を得ていたが、海外駐在人員募集という謳い文句に誘われて後期募集で滑り込み入社した。

同期には12人いたがほとんどが縁故入社で、会社の取引先の大手の役員の息子だとか資産家の家庭が多く、僕を含めまともに入社したのはわずか3人。入社初日から外国車を乗り回し、高級腕時計を付ける彼らと田舎のスーパーの息子である自分の世界観は違い過ぎてあまり仲良くはなれなかったが、社内での扱いが違っても特段気にせず毎日を過ごしていた。海外に駐在する事のみが目的だったのでその最短ルートだけを捜していた。

10カ月の港湾での現場研修を終え、東京支店に配属。通関部を経て、本田技研工業の輸出を取り扱う営業第一部で完成車や部品を北米に輸出するチームのリーダーを拝命する。

入社3年目に大学時代の彼女と結婚もし、多忙な日々を送りつつも充実した時間を過ごしていた。結婚から1年半が過ぎようとした頃、上司に呼び出され海外駐在の打診を受ける。「ベトナムの合弁会社に出向してくれないか」という話だ。

最初それを耳にした時はかなり躊躇した。僕が使用できる言語は英語とスペイン語だけだったし、営業でも、欧米地域を担当していたのでアジア方面への駐在はないものと考えていた。おそらく、協力隊で途上国を経験している事でタフネスの方に指標が動いたのだろう。

 もう途上国はコリゴリだ。そんな思いと一刻も早く日本を出たいという心が両天秤で揺れている。グアテマラから帰国した僕はすっかり別の人間になってしまっていた。自分が目にしてきた現実に比べると日本社会が偽りの平和の上に成り立っているようにしか見えない。都合のいい現実を政府が国民に見せて、素直な人は目隠しをされて騙されていると考えるようになっていた。

向こうでの経験を誰かに語っても、聞き手にとってはまるで映画のように現実感がなく、一定の感嘆は得られてもすぐにまた自分達の日常に戻る。それはたとえ奥さんであっても例外ではなく、例えようのない寂しさを感じていた。僕はまるで自分が夢の中にいるのではないかと感じるようになった。あの経験は本当だったのだろうか、誰かに話を聞かせる時の自分のストーリーは誇大妄想で、なんでもない事をあたかも重大事として錯覚しているのかも知れない。あの時の感覚を確かめたいという気持ちが勝った。

 当時、妻は出産を目前に控えており、当然これに猛反対した。子供がもう少し大きくなったらどこにでも付いていくから今回は辞退してくれと泣きながら懇願されたが、彼女の言葉は耳に入らなかった。普通に考えれば当たり前なのだが、自分が見てきた現実を彼女と共有できない事で言葉では説明できない不信感が心の奥底にあった。帰国してからの5年間の孤独で目の前の事を見たり感じたりする事ができなくなっていた。父親になるという大きなチャンスがあったのにその権利を放棄した。

 辞令を断ると出世の道がない、子供が生まれたら必ず環境を整えて海外で一緒に暮らせるようにする、様々な言い訳が口から出たが、結局は今回もまた海外へ逃げる事を選択した。