世界のベンチマーク(自伝)帰国編(一)脱線は続く

インド赴任では全く爪痕を残せなかったものの、久しぶりの帰国で心は踊っていた。一方でその当時、売上がダダ下がり状態の日本支社では(JPTは日系ながら香港本社)乾坤一擲の策として、タイで猛烈な成績を残したI支店長が社長に抜擢され営業の抜本改革をするとして優秀な営業マンを集めていた。

 前編の最初に話したとおりJPTは海外拠点がグループ収支の大部分を占めるという構成上、日本への帰国はいわゆる都落ちという事になる。給与も日本の年功序列に改められるので手取りは半分以下になる。僕の心の中では転職の為の帰国というシナリオは半ば決定していた。ただもし、日本でやりがいを見つけて出直しができればそれも悪くないと考えていた。

 I社長はやり手だがクセが強く社内に敵も多い人物だった。グループ内の同僚で仲の良い二人の友人はそれぞれ優秀なセールスマンだったが両者ともかつてバンコクでI氏の下で鍛えられたという経緯があったので僕の印象は悪いものではなかった。向こうもそう思ってくれていたのか、前もって帰国を控えた僕の情報を二人の友人から聞き込みをしていた。そして二人はその内容を僕の方にも内密で転送してくれていた(笑)。

 案の定、帰国を一カ月前に控えたある日、I社長の方からメールが送られてきた。「貴君を我が営業チームに迎えたい。だがまだまだ甘い所があるから覚悟して来い」というような内容だ。

「あ、そのパターンね」最初にマウントを取りたがる臆病者に長時間付き合うのは得意ではない事は痛いほど自覚していた。どうせバレちゃうんだもん。「日本の営業体制をしっかり整えてもらえればやります」と返信した。

そのひと言が火を付けたのか「日本のメンバーを侮辱するのか!」とご立腹の様子。僕は根拠となる事例の数々を添付して返信した。意識の欠如や連絡ミスによってどれくらいの案件を逃したのか、そしてそれらの合計額も。

しばらくしてから、営業部長の方から謝罪のメールが返ってきた。僕は社長に売られたケンカだから社長に謝罪して欲しいと答えた。結果、僕は業務部に配属になった(笑)。だがあんまり落ち込む事もなかった。だってどうせ転職するなら楽な仕事がいーもーん♪。

2011年8月。東日本大震災の傷も癒えぬ日本で子会社のドタバタ劇をよそに親会社は財政破綻の時を迎えていた・・・。