世界のベンチマーク(自伝)続・インド編 (三) ワンパンスクール・インド校

さて、着任そうそう、まず取り掛からなければならなかった問題は社内の人間関係だった。先に赴任してきた後輩のOは中国以上の詐欺イズムを信奉しているインド人にコテンパンにされて、誰を信じていいかわからない状態になっており、ショッピングモールのガードマンに身体検査やカバンチェックを拒否するほどにインドアレルギーになっていた。一方で上長としての責任を放棄したOに対してのスタッフの反乱も激しく、連日双方からの相談・苦情を聞き続ける毎日。

以前の赴任先であるベトナムや中国でも、騙された経験のある駐在者の中に現地の人々を親の仇のように憎む人はいたが、Oの場合は途上国処女の上に不満を共有する相手も存在せず自暴自棄になっていた。

 という訳で彼と同じマンションの別階に部屋を借りて日常を共有する事から始まった。一緒に夕飯を作ったり、出勤を供にする事でまずは味方だという事を体感的に理解してもらう。それから業務において不合理な理由で日本の担当部署から文句を言われたり、責任転嫁などがある時はキチンと反論させる。インド人の行動にもいちいち反応せずにその背景を考える訓練をする。理屈を感情に馴染ませる。そうやってまずは自分の身を守る技術を覚えてもらう。必要なのは共感ではなくサバイブする事。

 商社としてはこの会社しか知らないので断言はできないが、少なくともK社は体育会系と呼ばれる古き日本の会社であった。暗黙のルールがたくさんあり、出世する人間はある程度オシャレで人付き合いがうまく、押しが強くなければならない。ひと昔まえのトレディドラマみたいに中身がスカスカでも見てくれが良くて政治が上手ければ通用してしまう様な風潮の中で、優しすぎる特徴を持ったOは格好の餌食だった。もちろん彼を標的にするような人たちがインドにやってきて現地人と切った張ったする根性は毛頭ない。

 一方でこういったサポートもバランスがなかなか難しいもので、Oは無意識に僕の背後で虎の威を借るようになってしまう。いわゆる「俺の兄ちゃん〇〇校の番長だぜぇ~」系ね。最初は送られてくる宣戦布告のメールも代わりに返信したりしていたが、本人の言葉で意思をはっきり伝えられるように徐々に僕が関わる頻度を減らしていく。

一度、面白かったのが、事務所にいる時間帯はどんなメールが来ようとも僕のアドバイスや言い回しを受けてOが相手に反論できてしまうので、不信に思った日本の担当者が就労時間帯を避けてイジメコールをOに入れてきた事があった。

その時たまたまOの部屋で飯を供にしていた僕は、手元にあったノートに反論の文言を書き連ねて読ませる。まるでフリップ芸のようなリズムに、ただただカンペを棒読みしながら相手を論破していく様は無情の兵器感が出てて素敵だった(笑)。

 自分の価値観が揺さぶられるような途上国で「尊厳とは何か?」問われれば「ナメられない事」と即答できる。日本では優しさとか包容力とか耳ざわりの良い言葉ばかりがモテはやされるがその重さについては議論されない。要するに「じゃ、その為に断食できるの?」って事。ガンジーは非暴力だから国民の支持を受けたのではなく、その信念を通す暴力性に人々は心を動かされたのだと思う。

 Oが自信を回復するまでは1年ほどの時間を要したが、インド人スタッフとの関係修復は意外な事にそこまで苦労を要しなかった。なぜなら課題が最初からあったから。ゼロから自己紹介を経て信頼を勝ち得るのはなかなか難しいが、共有する厄介ごとがあるのはある意味ラッキーだった。

 そこで一人のインド人スタッフと交わしたある約束が、駐在生活においても人生においても大きな転機となった。