帰国編(八)格闘家復帰への道パートⅤ

対戦は12月23日サンタクロースに代わって勝利を届ける事ができるか。入場曲はさんざん迷った挙句、息子とインドの車中で良く聞いていた映画「アイアンマン」の主題歌にした。アイアン(鉄)への想いと共にリングに上がる事にした。

相手はマンジュマンというリングネームで柔術茶帯を持っており寝技を得意とする。タイプ的に僕には相性が悪い。だが、僕には関係がない。自分にとってのジャッジ(審判員)は鉄平だけだ。

試合のゴングが鳴ると不思議な事に今までのどの試合より落ち着いて周りを見る事が出来た。最後の試合の反省からほっといてもテンションが上がってしまう僕のようなタイプには、何かを覚醒させるような働きかけよりも、落ち着かせ慣れさせる作業の方が大事なのではないかという仮説を立てていた。ヒントになったのは中国駐在中に一時帰国で練習に立ち寄った和術慧舟会GODS(ゴッズ)ジムの中原太陽選手のひと言

「僕は会場で緊張したくないので、普段から練習を全力ではなく本気でやっています」

つまり、普段から試合さながらに全力を出して戦えばケガは避けられない上に、試合は練習とは勝手が違うので対戦相手も予想以上にタフだったり、緊張で硬くなった身体には打撃が効きやすかったりする。なので壊しあう攻防についてはある程度力をセーブしつつも、緊張感だけは試合時を想定して臨む。あとは試合会場にも体感的に慣れる必要があるので、スパーリング前に天井のライトを見て、地面のマットを見つめるのをルーティーンにした。この2つはどこの会場でも必ずあるものだからこの儀式を通していつもの自分に戻る。

相手の攻撃はよく見えたのだが、マンジュウマンはすぐには組みついて来ず、積極的に打撃を仕掛けてくる。これが俗にいうヘタウマな感じでタイミングが取りづらい。詰め寄ると足元に潜り込まれて足関節を狙われた。なんとかこれに反応して対処したところで第1ラウンド終了。

コーナーに戻った僕は良い意味でも悪い意味でも普段の自分を取り戻していた。効くパンチではなかったので、2ラウンドはずんずん自分から入る。途中パンチをもらったが顔で受けてそのままパンチを返す。倒れた(笑)。そのまま襲い掛かったが後ろを向かれたのでチョークスリーパー(裸締め)を狙う。さすが柔術茶帯だけあってあっさり外されて前に落とされる(笑)。双方立ち上がったところで残り時間わずかだと合図の音がする。
久しぶりの試合でバテてる(笑)。もうおじさん疲れてる(笑)だって36歳だもん♬。まぁいっかと心に決めて防御を捨ててラッシュを仕掛けた。相手のカウンターももらうがかまわず攻める。相手の意識が飛びかけたのが見えたのでそのまま続けようとしたところでレフェリーが入り、テクニカルノックアウトで勝利できた。

映像で見返すとお世辞にもレベルが高いとは言えず、グダグダな内容だったが会場で息子をリングに上げ、一緒に息吹(いぶき)という空手の動作を披露する事ができたのが生涯の想い出になった。何より自分一人で勝ち取った訳ではないという感覚が幸せだった。

その後の試合も運よく3回連続1ラウンドKOで勝利する事ができて僕は舞い上がってしまっていた。最初の「息子の為に頑張る」姿勢も薄れて家族の協力も限定的になってきていた。

僕はといえば調子に乗りつつもどんどん強くなっていく相手への対処で頭がいっぱいになっていったのと着地点を決めていなかった参戦からモチベーションの維持が徐々に難しくなってきていた。3~4か月毎に試合がある事に練習内容や体調を合わせるような生活サイクルではあったが、新しく入った会社の方でも海外出張や新規事業の創生で時間の確保であったり、部署の不採算が続く中で上司との関係がこじれ始めたりして格闘技がもはや逃避の場と化していった事は否めない。

第5試合目の時、U代表から「次からお前のリングネーム、ワンパンマンだから」といきなり宣言されひどく狼狽する。Uさんはとても世話になっている先輩だが時々悪ふざけがすぎるのと有無を言わさぬ強引さでモノゴトを進めるクセがある。かなりの抵抗を示したが、野田“ワンパンマン”カズヤというミドルネームで折り合いがついた。せめて通名みたいにしないと自分で言っているみたいで痛すぎる。当時は嫌で仕方なかった名前も試合を見た人にはワンパンさんと道場内外で呼ばれる事になり、プロという視点で考えれば覚えてもらう方が大事だと今さらながらに気付いた。自分の気持ちなど関係なく見に来てくれたお客さんに楽しんでもらうのが一番。プロの定義は書いている字の通りで強さではなく、金になるか否かだけだ。強さも自己演出もその為のツールにしか過ぎないという現実を理解するにはおじさんながら幼かったと言うべきか(笑)。

会社の人間関係に綻びが見え始めてからの戦績は振るわず、2敗1分けに終わった。プライベートの状況が勝敗に影響するのかどうかはわからない。対戦相手もそれぞれに事情を抱えているはずで言い訳など通用しない。もうこの辺で終わりにしようかと思い始めた頃に再びインド駐在の辞令が下りた。それは部内でのやっかい払いだったのか、僕の特性的に海外の方が活躍できるとの見込みだったのかいずれにせよ、転職3年目にしてどこかで覚悟していたインドへの赴任要請。たいがいの社員なら断られて辞めてしまうかも知れない。その点、僕は生え抜きではないし万が一当たったら儲けもので切り捨てても惜しくはない。悔しくなかったといえば嘘になるが、道具になるのを覚悟の上で入社したのも確かだ。前回の赴任ではインドに惨敗しているので最初は気が進まなかったが、せめて一矢報いて最後の駐在、最後のサラリーマン生活にすると心に誓い、辞令を受諾した。

とりあえず格闘技の選手としてやれるだけできた。後はインドにビジネスでリベンジするだけだ。僕の物語はいつも敗北から始める。遠回りだし、格好良くない。でも、俺だけは俺の味方だぜ!