続・インド編 (十) 文化と武道の相関性

日本と海外では同じ指導をしても全く反応が違う。国民性というか反応のクセみたいなものがあって、例えば楽天的なラテンの人々はよくダンスをする為か動きが柔らかくノビノビとしている。その反面、不利な状況になるとすぐ勝負を投げる傾向があったりする。

 インドは全く想像がつかなかったのでワクワクしていたが、案の上ものすごく独特だった。まず、対人練習でリズムを合わせるのが苦手。常に交渉で間の取り合いをしている彼らの習慣では相手に合わせるのは体感的に負けを意味するのであろう。ミットを持ってお互いに攻撃を受けあう練習では、攻撃側は的を確認せずに思いっきり技を振るし、受け側も痛いのを避ける為にまともに受けない。カウンターはリズムを合わせてこそ体得できる技術なんだよと、くどくど理由を説明しないとやる気が出ない。

 また、カーストがある為か、自分で判断せずに目上の者に何でも判断を仰ぐ傾向がある。本来、戦いは平等なもので相手が子供だろうが熊だろうが勝った者が正しい。にも拘わらず、スパーリング中にいいのをもらったりすると。「先生、あの攻撃は正しいのでしょうか?」などと聞いてくる(笑)。肉体で争いあっているのに論争が始まったりして収拾がつかない方向に行ったりする。

 インドにおける先生の立場は想像以上だった。僕が道場に入ろうとすると、生徒たちが駆け寄ってきてすぐさま荷物を奪い取り運んでくれる。膝もとにしゃがみ込んで、親指に触れてくる。まるで中世の王様と臣下のように。想像するにこれは彼らの宗教観に由来していると思う。

 こんな話がある。インドにプーラン・デヴィという2001年に暗殺された女性政治家がいた。彼女はなんと元盗賊で、わずか11歳で結婚させられた上に、地元の村や警察においてもレイプや迫害を受け、あげくの果てに盗賊に誘拐されてしまうというそれはもう悲惨な幼少期を送っていた。自分の運命にブチきれたプーランは盗賊の頭目を殺し、自身の盗賊団を結成する。盗賊として名を上げた後、復讐も兼ねて故郷を再び訪れた時、村には彼女の銅像が建てられ、人々は彼女を女神と讃え、足元にひれ伏した(笑)。

 要するにインドでは力ある者は神となる(笑)。ヒンズー教に出てくるキャラクターや逸話はとてもじゃないけど道徳的ではない。例えば、みなさんのイメージにも親しみのある象の頭をしたガネーシャという神様は、父親である破壊の神シヴァが家に帰ったら不審者と間違われて首をはねられたというとんでもない経緯を持つ(笑)。 現代の価値観で受け入れるにはけっこうハードルが高いが、シヴァもガネーシャも変わらず信仰の対象として存在している。神様に深い人生観など必要ないのだ。能力由来で人々のマインドを牛耳っている(笑)。

 そんな何をするにもカーストが絡みついてくるインドでの選手育成だったが、道場でトップを争っていたアニールとプージャンにもその傾向は顕著に表れた。 

 もともと軍人一家であるアニールは、親兄弟もみな警察関係か軍事系でそれらの仕事は世襲ではないもの特殊な教育および環境を受け継ぎ、現代におけるクシャトリヤ(王族・軍人の階層)としてレールに乗って順調に進んでいた。運動神経も良く、何を教えてもすぐ覚えるタイプでいわゆる天才型。レスリング・ボクシング・テコンドー・空道と様々な道場で
技術を磨き地元では負けなしで選抜大会に向けて準備万端という状態だった。

 一方でプージャンの家系は超厳格な非暴力主義として知られるジャイナ教。肉はおろか野菜の中でも根菜類も次代への命を断ち切るとして食べてはいけないというスーパーメガネ君しか育成できない環境で育っている。彼はいつも憂いを纏っていた。自分の出自への反発感と自分に対する否定感が強い。不器用だが、常人には真似できない爆発力があった。抑圧された感情を垣間見せる瞬間が彼の武器であった。あまり人付き合いもうまくなく、人脈もないプージャンは僕を頼った。通常の練習以外にプライベートで僕のマンションの下で週3回のマンツーマンレッスンを続けた。毎回ボコボコにされては悔しさのあまり自分を殴りつける彼の姿を今でも鮮明に覚えている。

 そして運命の日はやってきた・・・。