続・インド編 (十三) 約束の地

さて、本編に戻ろう。外務省事務次官Mさんの紹介によって僕たちはインド軍事企業BELを訪問する運びになった。バンガロールにある本社に伺う。

バンガロールはインドIT産業のメッカと呼ばれで米国企業のコールセンターやソフトウェアの開発などの産業がさかんでインドで最も発展している都市だと言われている。BELの事務所は都心部から1時間ほど離れた町外れにあったが、建物は意外にも質素で高級感のある作りだが、ビル内には全く人影が見当たらない。ただし、入口のセキュティは厳しく携帯からカバンまで持ち物は全て預けなければならない。案内された部屋に到着するまで社員と思しき人物には遭遇しなかった。

10分ほど待っているといかにも技術者然とした初老の人物が現れた。聞けば博士で国境監視システムの構築を担当しているという。こちらの製品の特徴などは説明する前からわかっている様子で始めから会話をリードされた。聞けば会社同士で共同研究や事業を進めたいとの申し出。さっそく研究員を日本の工場に送りたいという。さすがに急な提案だったし、僕とハルディックは青ざめ始めた。安請け合いしたらあっという間に会社の機密情報も軍事転用できなそうな技術も盗まれてしまう。

なんとかお茶を濁しその場を去ったものの、会談の様子から今後の受注の見通しは暗いかなと感じていた。ところがハルディックは自信満々の様子。ああやって無茶な話を振るのはそれだけこちらの技術や品質に興味があるという証拠だから。少なくとも彼らがこちらの製品を完全に再現できるまでは継続して購買は続くはずだ、と。

こういった感覚は現地人しかわからないので役立つ。特にインド人は心理的に握手をしないので、本心のサインをしぐさから読み取らないといけない。ムッとした様子を見せる時はかえってポジティブな運びになる事も少なくない。

会見から3か月後ほど経った時、1台数百万するカメラシステムの納入が決まった。国境で使用する台数は200ほど。1件で相当な売上になる。最初年間10万円ほどだった売上が3000万ほどに拡大していたが一気にスケールアップするチャンスが来た。予算もそれなりに用意しないと対応しきれなくなる。

本社として正式に対応しなくてはいけないだろうという事になって、日本より部長がインドに出張に来るようになり、その年の戦略ミーティングにおいてついに僕らへの招待依頼が来た。赴任当初にハルディックに約束した事が現実になろうとしていた。

ハルディックは生粋の田舎者でそもそも紙を使うトイレさえ使った事がない(笑)。
  厳格な菜食主義者のうえにカレー以外の味のものを口にしない(笑)。

   彼を日本に連れていくのはまるで幼稚園の引率のように大変だったけど、僕の任期
  にいつまで面倒を見れるかわからないから一期一会だと思い、空いた日は浅草やスカイツリーなど色んなところへ連れていった。そんな中、彼の印象に一番強く残った場所は意外にも名古屋のオフィスに立ち寄ったついでに連れて行った僕の地元の伊勢神宮だった。ヒンズー教のいい面はあまり排他的ではないという部分だ。とても信心深い一方で他者が信じるものをそのまま許容する。ハルディックは神道のお宮の前でヒンズー式のお祈りをして嬉しそうにお守りを買った。インドの寺院では周りにゴミが散乱していたり、そこかしらから尿の臭いが立ち込める所もあるが、神宮の荘厳な雰囲気と往来する人々の行儀の良さに感心していた。こういった日常の態度が彼らから見ると我々日本人は敬虔な信徒のように見えるようだ。なぜなら彼らにとって神とは「監視する者」であるからだろう。

   ちなみに日本にあるインド料理屋は日本人の口に合うように味が変えられておりインド人にはクソまずいらしい。ハルディックが最も美味しいと感じたのは伊勢神宮の帰りに寄ったおかげ横丁(神宮に隣接する観光施設)内のカフェで出してもらった野菜カレーだった(笑)。結論、インド人は日本のカレーが好き♪

   こうして、アーメダバード支店はセキュリティレンズの商材以外にも、Lixilの衛生陶器の原料の供給や(輸出)、食用油の国内最大ブランドFortuneへのブリキの供給(輸入)など次々に新規開拓に成功し、事業規模を大きくした事で新たに3人のスタッフを雇い入れる事ができて、大きな事務所に移転した。最初の2畳半のオフィスを思えばずいぶん会社らしくなった。

   だが好事魔多し。こんな時はいつもの如く暗雲が立ち込めるのであった。