続・インド編 (十一) 空道ワールドカップ!

2017年2月10日、インド最大の商業都市ムンバイにメキシコ、グルジア、ロシアなど世界各国から選手団が到着した。主催国であるインドではワールドカップ本戦の前日に選抜大会を行い、各階級より2名を輩出する。

 空道は柔道のように階級制で争うが、身長と体重を足した体力指数という独特の基準を用いる。我がアーメダバード支部からはアニールが-230(例:身長165cm+体重65Kg以下)、プージャンが-250(例:身長175cm+体重75Kg以下)で出場した。
 
 インドの格闘技のレベルはお世辞にも高いとは言えないがその分、ケンカ強さみたいな地力が顕著に出やすい。レスリングとボクシングを高いレベルで修めているアニールは代表に選ばれるレベルにあると思われたが、相手の荒々しく無軌道な打撃をもらってしまい、何度か投げで転がすものの劣勢が覆せず2回戦敗退。

 一方のプージャンは途中危ない場面もあったが、寝技を織り交ぜて勝ち上がり見事、代表に選出された。2回戦で相手の蹴り足を掴んでアキレス腱固めで1本勝ちした時は思わず笑いがこぼれてしまった(笑)。UWFみたい(笑)。格闘技関係者ならご存じだと思うが、真剣勝負でアキレス健を極めにいくのは相当にレベル差がないと不可能である。相手選手に技術の情報が全くなかったからこそできた芸当だった。

 二人の結果の差は試合までの取り組み方にあった。体力においても才能においてもプージャンはアニールに遠く及ばない。しかし自分自身に対する捉え方が違った。アニールは自分が劣勢になる状況を経験した事も想像した事もない。だからアドバイスにも心から耳を貸す事がない。僕はそれでも良いと思っていた。彼が僕の想定を超える才能の持ち主であるならば余計な負荷を与えるべきではない。その反対にプージャンは自分に才能がない事を痛いほど自覚していた。相手が自分より機敏に動きパンチも蹴りも切れる事を前提としているので、防御や距離の作り方を丁寧に用意して、アタックに使うものを決めていた。遠間からの右ストレート以外に目立った武器はないが、その間合いを作る事については試行錯誤を巡らせていた。それと寝技。プージャンは決してグラップラー(組技主体の選手)ではないが、僕と連日、組技の練習も積んでいた。インドには室内にマットを轢いて練習するような環境はかなり限られているのでそれだけで大きなアドバンテージになる。プージャンは常に自分や相手に足りないものは何かを考え比較論で戦術を選択した。スーパーマンにはなれないが、試合に勝つことはできる。

次の日、アニールは会場から姿を消していた。本戦に向けてプージャンとウォームアップをしていたら、突然見知らぬ男がやってきてセコンドに就くと言い出した。どうもグジャラート州の空道協会の偉いさんらしい。自分の所の選手が全滅したので、師匠に成り代わりたくなったのだろう。こういういい加減で調子がいいところもインドらしい(笑)。結局、僕と2人でコーナーに就くことになった。

 ただコイツ試合が始まると、うるさいうるさい(笑)。全然僕の声が届かない。しかも技術的な事が言えないから

「あきらめるな!」とか「ファイトだ!」とか役にもたたない事を映画俳優ばりにわざとらしい声で叫ぶ。

プージャンの相手はロシアのイゴール・ペルミン選手。大会の優勝候補で日本の巌流島という格闘技イベントにも出た事のあるめちゃくちゃ強い選手。序盤は何とか距離を取って攻撃をいなしていたが、ミドルキックとカウンターのフックを喰らってあえなくKO負け。実力の差は歴然だった。ペルミン選手はそのまま快進撃を続け世界一の栄冠に就いた。

こうして、僕とプージャンの挑戦は幕を閉じた。だが思い返すとひょんな事からインドの田舎町でコーチを引き受け素人同然の選手を育成してここまで来れたのだから悔いはない。

 僕とプージャンは審判団としてインドに来ていた息子の先生と挨拶をし、閉会セレモニーを待たず会場を後にした。

帰りの飛行機内でプージャンは僕に呟いた。

「僕の先生は後にも先にも、野田先生一人だ」

・・・ま、いいかな♬