帰路編 (一) 最後の転職活動

Oの帰任でさみしくはなったがそれは同時に自分に考える時間を与えてくれるきっかけになった。僕の方でも赴任前に会社と約束した2年を過ぎても何も音沙汰がなかったので改めて問い合わせてみると確認する部署や人物をたらい回しにされるだけでいっこうにはっきりした返答がない。

別に構わない。声を大にして騒いで無理やり帰ったとしても居場所なんてないだろう。プランBに切り替えて自分の行く先を決めるだけだ。こうやって思い返すと会社を信じたかったんだろうなとしみじみと感じる。カッコつけとるけどむちゃくちゃ依存体質やん、俺(笑)。
 
 さて、どうするか。もうサラリーマンはこりごりだなと思う一方で強烈にやりたい事がある訳でもない。これまでの経験を活かそうと思うと、海外のプロジェクト案件が水に合ってそうだが、その会社の人間関係に巻き込まれるのもごめんだ。 プロジェクト案件請負人になれないだろうか?そんでもって企画実行のプロとして数年毎に会社をコロコロするのも有りだなと考えて転職活動を開始したfrom インド。

 交渉ごとに慣れている僕はそれはそれは強気な姿勢で面談に及んだ。インドにいて日本に行く事ができないので基本スカイプかZoom以外受け付けません。決裁者以外の人と2回以上話したくありません。年収やポジションも絶対妥協しません。お前何様だと言いたくなるが(笑)、別に落ちてもいいやという気持ちなので態度にブレがない。

 向こうも自分たちだけではできない事があって採用活動をしているので、先方の困っている事を先に見通して自分のスキルのどの部分でどうやって解決できるのか示すだけで意外に上手く進むものだ。こちらにへつらう態度を求めてくるような会社とは最初から付き合わない。問題解決がしたいと言いながら感情に固執しているような連中は水商売から社員を採用した方が満足するんじゃないかな。

 こちらが自信満々だと相手も勘違いするもので、半年ほどの転職活動で6件ほど内定をもらった。その中の一つに年商1兆円規模のメーカーのメキシコ駐在というものがあった。
メキシコとグアテマラの行き来はとても簡単だ。なんせ協力隊時代はパスポートなしでちょくちょく国境超えした事があるくらいだから(笑)

 またあの懐かしい面々に会えると喜々として内定を受諾しようと返信ボタンを押そうとした瞬間に少しためらいを感じた。中学に入ったばかりの息子の姿が脳裏に浮かぶ。不幸にも繊細さと不器用さを僕から受け継いだ息子は常に学校で苦労していた。友人関係で揉め、先生と揉め、結果で見返す事もできない。なにをもって自信を築けばいいかわからない。あの子の力になってやれるのは自分しかいないかも知れない。

 モヤモヤの正体を感じてみたくてスカイプで話してメキシコ行きを伝えてみる事にした。すると鉄平は泣きながら

 「お父さんの夢をかなえてきて」と言った。

このひと事で海外への転職は選択肢から消えた。役割には鮮度がある。父親業は今を置いてほかにない。
 
 これまでの経験上、日本での就労を前提とするとグンと条件が厳しくなる。でもまあ何とかなるし、これまでなんとかしてきた。

メキシコ行き辞退を伝えると、転職エージェントはぶち切れて音信不通になった(笑)