帰路編 (五)明日への約束

帰国してからは失業業保険をもらいつつ半年ほどの準備期間ののち、手探りで営業を開始した。取引する相手が法人の場合は個人の口座では何かと支障が出るかも知れないと思い、父の保有する会社の社名を変更して「すみれトレーディング有限会社」とし、そこからの業務委託を受けているという形をとった。「すみれトレーディング(貿易)」という名に特別な意味はなく、花の名前を付ければ覚えやすく、親しみやすいだろうという安易な考えで、花の種類に関しては娘の名前を借用した。

 しばらくは個人事業主で活動していたものの、これから先にまとまった事業資金が必要な時に銀行に有効な窓口を持っておきたいという考えを持つようになった。政策金融公庫では創業者に向けての融資を行っていると聞く。「すみれトレーディング有限会社」は30年以上の歴史を持つので創業に対しての融資は当てはまらない。

 そこで新たに法人を設立する事にした。ここにきて初めて自分軸で社名を考えるという機会に直面した。マーケティングではなく、自分そのもの。なんで俺はこれをやってるんだろう、なにがしたいんだろう・・。

 2011年8月、最初のインドへの赴任から帰国間もなくして運よくグアテマラ時代の空手の一番弟子カルロスとFacebookで繋がる事が出来た。その後も彼の伝手で音信不通だった色んな生徒たちとの交流も再開した。その中にオビスポと呼ばれる生徒がいた。指導していた当時はまだ10代後半の少年で、背丈も小さく、シャイな性格の彼は現地でやっていたアニメのドジなキャラクターに似ているという事からモウという愛称で呼ばれていた。

 モウは原住民のインディヘナの家系で、教育やインフラの不十分な地方から出稼ぎで首都にやってきた家族の2世で家庭は貧しい。15年も経ってからプロフィール写真で見る彼はスーツを着て立派に見違えていた。

 ちょくちょく連絡をくれるようになったモウは生活も潤って順調な様子を伝えてくれる。だけど僕はカルロスから伝え聞いて知っていた。彼がアセシーノ(殺し屋)になったことを。
中米においては珍しい事ではない。依頼する人とお金を払う人と働きたい人がたくさんいれば成立する。日本だって、日雇いのバイトで募集を懸けてちゃんと報酬が支払われるのであれば経験のあるなしに関わらずある程度の人は集まってくる。それと同じだ。

話の中のモウは大統領警護官として働いているとの事であった。ある意味では間違ってないかも知れない。下下下下請けで誰の為に何をしようと間接的にはどこかの大物に繋がっている。警官であれ軍人であれ弁護士であれ、直接もしくは間接的にはアセシーノになり得るのが彼の地だった。

 警護官である彼のストーリーは所々で不自然な矛盾を残す。これまでたくさんの国、たくさんの人びとと交わる中で嗅ぎ取ってきた嘘の匂い。まさかそれを自分の生徒から感じる事になるとは。

現在の自分の地位、生活、居場所を主張する一方でオビスポはモウに戻ろうとしていた。昔ばなしに花を咲かせ、懐かしみながらドジでみんなに可愛がられていたあの頃を必死に演じようともがく。明るいその声は「助けて!」という叫びに変わり僕の中に届く。僕はただ涙を堪えてうなずく事しかできなかった。

今、自分が生きているのは紛れもなくあの日のグアテマラで生徒たちに命を救われたからだ(詳しくは第1章グアテマラ編を見てちょ)。彼らはトラブルに陥った僕の味方になったが為に職や食い扶持を失い、その身さえも危険に晒した。巻き込まれたのではなく、自ら選んでそうした。

正直に言ってこれまでの人生で、夫婦、家族、親族、友人あらゆる信頼関係の中でここまで捧げてもらった経験が他にはない。もしかしてそれが当時のノリだったかも知れないし、彼らなりの打算もあったのかも知れない。だが、事実として本来、失われていたはずの脳みそが今もここで能書きを垂れていられる。

そして若くてバカで無力な僕は空手を通して努力の先に光があると言い切り、グアテマラに呪いを残していった。だが、自分の出自や可能性の限界と格闘して苦しんだモウはオビスポとして生きていかざるを得なかった。

過去は変える事はできない、そして現在の自分はあまりにも無力。だったら「明日」に懸けてみるしかない。自分が無責任にぶっ放したデタラメ(約束)を回収しないといけない。社名は「ミッションフォートゥモロー(明日への約束)」に決まった。

独立後、しばらくしてカルロスの紹介でグアテマラ空手道隊員の前前任者のTさんと連絡を取り合う事が出来た。Tさんはお子さん2人を難病で亡くされて、自分も癌を患っている。自身が体調を悪くされてから想うところがあったのか数年前からグアテマラを訪れるようになった。もともと個人事業主で翻訳の仕事をされていた人なので、仕事ができなくなってからグアテマラに行くのは相当な経済的負担もあったと思う。そんなTさんの行動を通して僕が見てきた事が幻ではなかったと思えてどこかでホッとする。Tさんが容体を崩され最後に手術で入院されてからは音信不通になっている。一度、富山にいるTさんに会いに行こうとしたが、惨めになった自分を見られたくないと断られた。今でも返事がなくなった事を心配するカルロスから時々メッセージが届いている。

僕は何が「約束」を果たす道具になるのか分からずに、本業の貿易コンサル以外にも、グループホーム(障碍者自立支援施設)、児童向け空手教室の先生、フェアトレード(途上国支援の貿易)、引きこもり児童の自立支援型家庭教師、訪日外国人の通訳、格闘技のパーソナルコーチなど様々な事に携わってきた。

何もない日々の中でわざわざ迷い、試し、苦しみ、不貞腐れ、八つ当たりし、恥をさらし続けている。夜明けが来るかもわからない、もし来たとしても他人に語る言葉は持っていない。自分がいつどうやって死ぬかもわからない。ただ頭の中でTさんやモウの言葉の断片だったり、見てきた光景の残像が壊れたテレビのように繰り返されている。

目の前にはただ明日が横たわっている。「自分」という最も頼りない武器を過保護にメンテし、おだてて靴を履かせる。とりあえず今日も「行ってきます」。

  おわり