*世界のベンチマーク(自伝) 中国編(七)支店再建

会社から人がいなくなったからといってすぐに仕事がなくなるわけではない。物流の場合、通関や保管・配送といった業務はお客さんの目の届かないところにある。なので当面は自社の代わりに代理店を探し外注で仕事を回す。当然利益は目減りするが、抱えているスタッフも少ないので運営経費の方も少なくトントンの数字で現場を継続した。外注を依頼したのはドイツ・ルフトハンザ航空の中国側物流代理店をしている会社。独邦(仮)。作業システムの移管を監督しながら、新たな営業は控え落ち着くまで現状キープに専念した。

この期間、家族は身の安全を確保する為、日本に帰国してもらった。被害を被ったのは主犯の陳だけでなく彼に連なった者たち。もし誰か感情的になっていたら何が起こるかわからない。僕は一人で支店の立て直しをしつつ、不思議な感覚で過ごしていた。不満も怒りもない・・・。
日本では常にストレスを抱えていた。金銭を騙し取られたり、身の危険に晒される事など日本では起きようがない。しかし常に無言のルールがあり“会社に対する姿勢”を問われている気がした。定義として会社は“お金を稼ぐところ”にも関わらずそれ以外の価値観が優先する事もしばしば。ではその倫理とやらを評価の軸にして明確な指標にするか?と言われればそうはならない。“社会人らしく振舞う”の真意は“それを口にする人の”パワーゲームに従え“に変換される。

一方、中国で起きた事は僕をターゲットとしたものではない。彼らの生存行動の一環として僕が獲物になり、結果生き延びたという事に過ぎない。格闘技の試合のようなものだ。感情のこじれから起きたものではなく勝っても負けても自身と向き合うしかない。事実以上にどう関わったかという実感がその後の自分の人生に与える影響が大きいという事を学んだ。

支店の運営も順調に進んでいき、独邦の貨物も取り込んで支店は大連における航空貨物取扱実績第2位まで回復。自社オペレーションの復活に関しては独邦との合弁という形により決着を見る形になった。独邦にとっても日本の航空会社との特別な関係から独自に貨物スペースを確保できるというのは悪い話ではなかった。社長から新たな支店長に僕がなるという案も出たが、日本人上司から中華系のオペレーションを管理する人材が必要との判断もあり、独邦の総経理がJPTにスライドする形になった。

この間、実は解雇した陳やそのスタッフと完全に関係が切れたいた訳ではない。汚職の構造については独邦を起用しても大差はなく、常にコントロールする手段を残しておく必要がある。その為には情報が必要であった。やり方は当事者から聞くのが一番早い(笑)。陳には中国に来たばかりの時に家族ともども世話になって個人的な恩義もあった。彼に連なって解雇されたスタッフの再就職を世話した事もあって、感情的にもつれる事態にはならなかった。最後に陳と酒席を共にした時の彼の言葉が、中国滞在の中で最も忘れられない一節となった。

「俺らの親は文化大革命の中で育っている。少しでもお金があったり、教養があるとブルジョワジーと妬まれて、財産を奪われて農村送りになる。俺はそんな中で育った。そこではお金よりもみんな食べる事に精一杯で一緒に苦労も裏切りも分かち合った連中が仲間になるんだ。分かるか?俺らにとって友達とは一緒に刑務所に行く覚悟があるかどうかだ。お前ら日本人は正しい事を言っている。だけど何もわかっちゃいないんだ」

表面に現れる行動を見て、僕らは判断を下さざるを得ない。だけど、その背後に少しでも想いを馳せると違った事実が見えてくる。

支店の運営も順調に移管されてから、ほんの数か月後に新たな辞令が僕の元に届いた。

「インドのグループ会社JTB(仮称)に出向せよ」

つづく