世界のベンチマーク(自伝)続・インド編 (一)インド再び

格闘技の内容に焦点を当てすぎて、転職後の仕事に関する内容がおざなりになっていたが時を戻そう。←流行りに乗ってみますた。

新しい会社で僕が配属になったのは資源開発部。石炭やそれを運ぶ船に関わる部署で、僕は石炭の3国間貿易を担当する事になった。石炭に関する知見はないが商売相手がインドだった為の拝命となった。エネルギー関係の仕事と聞くと何やら壮大な事をやっていて格好良く見えるが、やっている事は金融業に近い。インドネシアで仕入れた石炭を消費先のインドへ輸出するのだが、我々は実際に石炭の仕入れや保険の付保などの業務はせず売買の仲介に入るだけ。だが、その際に支払いの猶予を180~240日付ける。当時インドでは金利が高く年間10パーセント前後、そして日本はご存じの通り空前の低金利でせいぜい1~2%程度の為この間で利益を確定すればそれだけでインドとしては借入資金の金利の節約になる。利益率から見ればわずか数パーセントでも取り扱い額は年間500億円にも上る為、社内でも目立つ部署であった。担当者は僕と助手の2人(笑)。

 とはいいつつ、呼吸をするように詐欺を働くインド人の相手はなかなか大変で、前職で嫌というほどインドを味わって奥義「サギコロース」を会得した僕は、なだめ、すかし、相手に不利な情報をかき集めては紳士的に脅すなど取り立ての達人と化していた(笑)。

中途入社のクセに一番遅く出社して一番早く帰ると信条としていたので上司のやっかい払いにあったのか、はたまた海外の方が伸び伸びやれると判断されたのか3年目にしてついにインド駐在の辞令が下りた。

インド現法のアーメダバード支店の支店長(ゼネラルマネージャー)をまかされる事に。アーメダバードはかの有名なマハトマ・ガンジーを輩出したグジャラート州にあり、現インド代表ナレンドラ・モディ首相の基盤の地としても存在感を示している。特徴としては全インドGDPの40%の富を占める商人の地でありながら、厳格なヒンズー教徒が多数を占め、街中に肉を出すレストランは限られており、酒も州法によって禁じられている。

ただでさえ、ストレスの溜まるインド人とのビジネス環境に加え、現地での生活は不便も多く駐在者にとってはかなりハードルが高い場所だった。

辞令を受けた時は、前回の駐在の苦い思い出もあり、なかなか快諾できなかったが、今度の商売の相手はインド第3の財閥であり、自社で炭坑、船、港を保有する一大コングリマットAグループ(仮称)。彼らのビル内に事務所を借り、会社の代表として先方のマネージメント層と折衝を重ねる。そんな経験は個人では味わえないと思いなおし赴任の決意に至った。

帰国後なかなか学校に馴染めない息子に対しての心配も尽きなかったが、社内においてアーメダバード駐在は二年という通例があったので、会社とは期間限定的な単身赴任という確約を経て再びインドリベンジへの旅路の準備が始まった。