世界のベンチマーク(自伝)続・インド編 (二) 一国一城のあるじ・2畳半の城

さて、会社を代表して提携財閥との折衝する支店長と肩書は立派なものの、実際の人員構成は、僕以外に日本人1人、インド人2人の小さな所帯でとても栄転と呼べるような環境ではなかった。

年間500億円規模にも上る業務提携をしているのに何故か?と疑問も思われるかも知れないが、K社の4000億とAグループの2兆円では売上規模に格段の差がある上に、僕たちの機能といえば借入金利の振り替えに過ぎない。オーナー会社同士なので友好提携を結んでいるもののお互いのビジネスの発展協力には影響しない拘束力に乏しいものであった。

インドビジネスの背景には裏のストーリーがある。面接で僕を採用してくれた役員のI氏が当プロジェクトの総責任者なのだが、社長の稟議を得る為に、インドの大手財閥と石炭の貿易を始めると大見栄を切った。

その実、Aグループの金利抑制の為の販売(貸付?)に過ぎず、更にタチが悪い事に相手方から支払い保証を取り付けていない。インドの法律では金融目的での貿易は法で禁じられているので公的にそのような書面は発行できない。

つまり、何らかの理由で一船でも支払いが遅れれば、それだけで5~8億円の銀行債務が発生する事になる。Aグループの石炭部が破綻、もしくは計画倒産した場合、連動的にわが社も倒産する。そのようなリスクの説明もなしにここまで突っ走ってきた訳だ。オーナーである社長は裸の王様と化してした。

そんな訳でI氏以外の役員および中間管理職はこぞってこの危険なプロジェクトから距離を置いていた。中途採用の僕はイケニエとしてとても都合がよかったのさ。

そこまでのリスクを負っているK社へのAグループの対応は存外に冷たく、自社ビルの中のIT管理ルームの隣の2畳半ほどの部屋をあてがわれた。小学校の放送室のような所を想像してもらえればいいと思う。

インド人はどこまでも実利主義で、どんな経緯であれビジネスをしている以上は対等であり、目的もないのに相手を丁寧に扱ったり、感謝する事はない。安かったり、必要であればライバルの財閥のビルに事務所を構えたりするのも平気だ。日本人のように感情的ではなく、友達か敵かは状況で決まる。

先に赴任してきていた当時27歳のOは絵に描いたような純情無害タイプの男で、このような複雑奇怪な背景を理解できるはずもなく、混乱の焦燥の日々を重ねて、インド人スタッフとの人間関係も崩壊状態で、僕が赴任した当時はもはや組織の体を成していなかった。

到着そうそう学級崩壊のクラスを立て直す金八先生のような気持ちになったのを覚えているが、事前情報である程度想像はついていたのでまずはOの治療から始めなければと考えて、彼と同じアパートの別階に部屋を借りてスポ根ドラマの日々が始まった。